THE BLOG 月光値千金

月見坂物語
To The South
Moonlight Bookstore
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月見坂物語

雑文 月光堂
2010/03/01/Mon

03. 猫の恋

駅に向かう道を、
若い女の子と連れだって歩いている。
日はもうとっぷりと暮れている。
仕事帰りは、表通りに用事がない限り、
裏通りを使うことにしている。
暗闇の中から店の灯りがちらちら見えてくるのがいい。
しばらく行くと、
クルマの抜け道になっている十字路があり、
ここには数軒店が固まっている。
焼鳥屋からは煙がもくもくと噴き出し、
スナックからは「天城越え」の歌声が漏れてくる。

久しぶりに来たユウナちゃんにお酒を誘われた。
ユウナちゃんは20代半ばで
新都心にある大企業のオフィスで働いている。
4月半ばの陽気が数日続いたせいも多少あるけど、
オジサンはしっかりとウキウキとしている。
ユウナちゃんは書道をやっており、
今年の正月「破天荒」と
勢いあふれる筆致の書を持ってきてくれた。
さっそくギャラリーの壁に貼って、
辞書で「破天荒」を引いてみた。
前人が行わなかったことを行うこと。
前代未聞とある。
本当に「破天荒」と呼べる人は、
日本中探しても十指で充分足りることだろう。
平穏、安定、普通を求めるのは人の常、
「破天荒」は当店の社訓ならぬ、店訓にしておこう。
いい言葉だし、勇気づけられるいい字だった。
         *
駅前のスクランブル交差点の手前に
白いふくろうが棲む小さな公園がある。
その脇に、「ミッキーズ・バー」という
ジャズを聴かせてくれる小粋で渋い店がある。
駅に向かって歩いてくると
蒼白いネオンが夕暮れに滲んで見えてくる。
「おいお前、もう少し遊ばなきゃあかんよ」と
いつもネオンに語りかけられる。
店主のミッキーさんは、前任者から店を受け継ぎ、
それでももう20年以上、この店を続けている。
この街の名物店の一つだ。

開店前、店の前はいつも打ち水がしてある。
ずっと繰り返している店の儀式。
ドアは半開きになっており、二人して中を覗き込むと、
口髭をたくわえたミッキーさんがニュッと現れた。
先週土曜日に行われたイベントのマップを手に持っている。
しばし立話していると、
「ちょっとコーヒーでも飲んでかない?ご馳走するからさあ」と誘われた。
五人掛けの一枚板のカウンター、右から二番目の椅子に座る。
バーはカウンターが生命、いいカウンターがある店がいい店だ。
来た人の思いが自然に木に伝わり、
それが年輪となり味わいのあるカウンターになる。
そんなカウンターがあるミッキーズ・バーがうらやましい。

リー・モーガンの「CITY LIGHTS」が流れている。
「ミッキーズ・バー、コーヒーもやっているの?」
「やってますよ」
いつも宵の口に来て、飲むのは決まって、ビールかジン・ロック。
コーヒーは飲んだことはない。
白いコーヒーカップにエスプレッソが運ばれてきた。
「もう、ライブやらないんですか?」ユウナちゃんが聞く。
「疲れちゃってね」と、苦笑いする。
今は夕方オープンだけど、
ゆくゆくはジャズ喫茶をやってみたいという。
        *
人生、師となるなかれ。
と書いていたのは辛口エッセイで知られた山本夏彦氏。
この言葉には、深く同調する。
もちろん、人格的にもなれる器じゃないのは承知の上で、
奇人、変人として飄然として暮らし、
あるいは頑固ジジイ路線を全うしたいと思う。
学生街の古本屋の店主ごときにも、
若い人から相談ごとをされることも
ひょっとしたらあるかもしれないと密かに思っていた。
往年のアイドルあべ静江にこんな歌があった。
(若い方々ごめん)

 古くから学生の街だった
 数々の青春を知っていた
 城跡の石段に腰おろし
 本を読み涙する人もいた

 そんな話をしてくれる
 コーヒーショップのマスターも
 今はフォークのギターをひいて
 時の流れ見つめていた
 (コーヒーショップで/1973/詞・阿久悠/曲・三木たかし)

阿久悠さんの詞がうますぎて感心してしまうが、
昔の歌謡曲からは歌詞を聞いただけで、
情景がすべて浮かんでしまうものがある。
街のありよう、店の様子、
女子大学生のまなざし、みんな浮かんできてしまう。
ひょっとすると、映画にまでふくらませられそう。
そして、何よりこのマスターにはなれそうもない。
ギターがひけないし。

裏通りをブチの猫が横切っている。
バック・ストリート・キャッツ。キミも裏通り派か。
「猫の恋」は、初春の季語らしい。
キミは愛する人(猫)のもとに向かおうとしているのか。
こんな刹那、たまに五、七、五が浮かんでくることがある。
わたしの俳句のお手本は、久保田万太郎(明治22年?昭和46年)。
万太郎は、小説家、戯曲家であると同時に、俳人でもあった。
駄句をひねっては、日記の片隅に書きためている。

花曇かるく一ぜん食べにけり(万太郎)

地元大学の入学試験も終わったようだ。
桜の季節が近づいてきている。

戸板康二「万太郎俳句評釈」
●1992年10月10日発行
●富士見書房刊

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